境内のご案内

1.本殿

本殿は文政11年(1828)から約12年に亘って造替したもので、流れ造りの桧皮葺です。建築構造は方四間。柱、桁、梁、斗拱、蟇股等すべて永き年月・風雨により一部欠落してはいますが極彩色の名残を留め、特に欄間には花鳥などのすばらしい彫刻があり、往時の壮麗絢爛たる姿を想い起させます。

2.東殿・西殿

本殿同様に文政11年(1828)から約12年に亘って造替したもので、何れも流れ造りの桧皮葺です。東殿は桁行七間、梁行三間半。西殿は桁行六間、梁行三間半という建築構造となっています。

3.拝殿

文政12年(1829)より天保元年(1830)にかけて造替されました。
祭典・ご祈祷などはこの拝殿で執り行われます。
自祓いの祓串や、おねがいごと用紙の備え付けもこちらです。

4.石灯籠(国指定重要文化財)

弘長4年(1264)9月建立 / 高さ2.6m 笠幅73cm / 石質 流紋岩 / 宋人の名工・伊行吉の作 / 昭和38年(1963)2月14日指定
「丹生社 弘長二二年二九日 大工伊□□施主□右衛門尉」と刻銘があります。伊行吉は名工・伊行末の息子。
父・伊行末は南宋明州に産まれ、鎌倉時代はじめに来朝し、東大寺再興にあたり石工事を担いました。伊行末の家系は伊派とも称され、鎌倉時代の石造美術の礎をつくった名工の一門と謳われています。

5.叶えの大杉

樹齢1000年余、樹高51.5m、幹廻り7.3mの杉の古木で大杉の幹に両手を当て、心の願いを口唱すれば、ご神威が授かる処から、大杉の前で祈る老若男女の姿が多くみられます。

6.相生の杉

樹齢800年程の杉の大木が相対するように真直に聳え立っています。いつしかこの2本の大杉を〝相生の杉〟または〝夫婦杉〟と呼称し、夫婦円満・延命長寿のご加護があると信仰されています。

7.丹生の真名井(清めのお水)

御本殿裏手の乎牟漏岳を分源として罔象女神(水の神)の秘めた力と恩恵(みめぐみ)を受けた御神水が御本殿の地下を脈々と通り、伏流水となって御井戸に滾々と涌き出ております。水の神様のみずみずしい清めのお水、生命のお水を戴いて活力ある日々をお過ごし下さい。

8.祈雨止雨祈願絵馬

昭和38年(1963)10月16日例祭当日、黒部ダム竣工を記念し、東京電力株式会社、関西電力株式会社より奉納されました。
現在、電気は人々が生活するうえで必要不可欠な存在となっています。
罔象女神は祈雨・止雨のみならず、安定した電力配給の水源をもたらす神様でもあらせられます。

9.茶室『甘雨』 

社務所より渡り廊下で繋がる茶室で昭和44年(1969)10月に竣工し、保田與(やすだよ)重郎(じゅうろう)が命名し揮毫(きごう)した“甘雨”の額がかかげられ、前栽には氏が愛した馬酔木(あせび)が多く植えられ一服のお茶に心やすらぐ空間があります。

10.丹生のなでフクロウ

叶え大杉にいつの頃からか住みつき、丹生の杜の夜の番人として境内を守って戴いています。
ふくろうは「不苦労「「福来朗」「幸福ろう」と書き、物事を察知し、先を見通し知恵豊かな、しあわせをもたらす霊鳥として親しまれています。山桜の樹齢200年余の老木に彫刻した〝なでふくろう〟の頭、体、足などをなでて頂きお徳をお受け下さい。

11.吉野離宮址(史跡)

吉野離宮については宮滝遺跡(吉野町宮滝)であることは昨今の発掘調査によって確実視されていますが、『日本書紀』に明記されている応神天皇19年行幸より聖武天皇8年の最後の行幸に至るまで、実に448年の長きに及び、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)山辺(やまべの)赤人(あかひと)大伴旅人(おおとものたびと)等の歌人、吉宣(きちのよろし)『懐風藻』の詩人等の高邁(こうまい)にして純真なる詞華をみるにつけ、この丹生川上の神域こそ吉野離宮であり、祈りを捧げる離宮であると、郷土が生んだ偉大なる森口(もりぐち)奈良(なら)(きち)翁は数々の考証を加えて吉野離宮説を唱えました。
昭和41年10月18日、東吉野村郷土史蹟顕彰会にて「史蹟吉野離宮址」の顕彰碑が森口翁の揮毫で建立されました。
萬葉の歌に多く詠まれ 又しばしば蟻通ひ給ひし吉野離宮は 雄略天皇が御獵なされた小牟漏(おむろ)(だけ)の麓 秋津野の野辺に宮柱太敷まして建てられてゐた。そこは丹生川上神社の神域地で この辺りから奥に離宮があったと推定される。この対岸には大宮人の邸宅があって 川を堰止め舟を浮かべ離宮に出仕のため朝な夕な競ふて渡った。今も邸宅の名残である御殿や軒先と云ふ地名が残ってゐる。
昭和41年10月18日 東吉野村郷土史蹟顕彰会

12.爺婆石(じじばばいし)

当神社、西参道口で爺婆石が出迎えてくれます。
かつては、吉野離宮の門柱とも云われていました。
鳥居に向かって正面左側が爺石、向かって右側が婆石で、夫婦石とも呼ばれています。
享保年間(1724頃)より、この地方では(いかだ)が木材運搬の主力となり、紀州へ木材の送り出しが始まったとされます。
当村より切り出された木材は筏に組まれ、爺婆石下を目安として川をせき止めて水を溜める鉄砲ぜきをつくり、鉄砲水を用いて筏の送り出しを行いました。この筏乗りを担う職人は多年の経験を経て一人前となりましたが、命がけの仕事でもありました。
その後、時代の変遷とともに木材の運搬も自動車を主体としたものに移り変わり、筏流しも見られなくなりましたが、道中の安全を願う心は今も変わりません。村中には長寿者も多く、延命長寿・夫婦円満を願い爺婆石をなでる老若男女の姿が日々見受けられます。

13.神武天皇聖蹟

本宮前象山(きさやま)の地に肇国(はつくに)由緒の地として昭和15年(1940)2月7日、皇紀2600年を記念し、文部省による第1回目の神武天皇聖蹟調査が実施され、「丹生川上の地」は当地に比定、建立されました。

 聖蹟碑文には  
  神武天皇戊午年九月天下平定ノ為
  平瓮及厳瓮ヲ造リ給ヒ丹生川上ニ
  陟リテ天神地祇ヲ祭ラセラレ又丹
  生川上ニ厳瓮ヲ沈メテ祈リ給ヘリ
  聖蹟ハ此ノ地附近ナリ
 と刻まれています。

皇紀2600年記念切手10銭
昭和40年発行

14.(ゆめ)(ぶち)

朱塗りの蟻通橋の上流に高見川(丹生川)・日裏川・四郷川の3つの川が合流して、紺碧の深い淵が形造られています。
夢淵は古代の人々が水神の鎮坐す霊境として、斎み潔めを行う場所で、(いみ)(ぶち)ともいったのが、訛って「いめぶち」となり「ゆめぶち」となりました。
『日本書紀』によれば、神武天皇大和平定の折、戦勝祈願のため丹生川上の地で厳瓮(御神酒を入れる瓶)を夢淵に沈め、お酒に酔った大小の魚が流れる事により勝利を占われた伝承地とされています。この時、水面に浮いて流れ出た魚こそ「魚」に「占」と書く「鮎」でありました。
天皇陛下御即位御大典に用いられる萬歳旛(ばんざいばん)に丹生川の水面と厳瓮、そして鮎の模様が施されているのも、神武天皇の伝承によるものです。

15.(ひむかし)の瀧

「東の瀧」は「秋津野の瀧」「龍神の瀧」ともいいます。
高見川(丹生川)・日裏川・四郷川の三支合流において、日裏川が高見川(丹生川)に注ぐところに「東の瀧」があります。
東の瀧には龍神が棲むといわれ、その神秘に触れようと大勢の参拝者が訪れます。
「東の瀧」は吉野離宮の東にあるということから、この名が付けられました。

16.末社・東照宮(とうしょうぐう)(すい)神社(じんじゃ)

蟻通橋北詰には、徳川家康公をお祀りする東照宮、上社のご祭神である高龗神・下社のご祭神である闇龗神をお祀りする水神社があります。

17.摂社・丹生神社

彌都波能売神(みづはのめのかみ)をお祀りしています。
川向いの御船山麓に鎮まりまして、丹生川上神社の旧社地として古くから親しみを込めて「本宮(ほんぐう)さん」と称されています。
神武天皇の御代は神籬式の神として崇敬され、天武天皇白鳳4年(675)に初めて社殿を建て、創祀されたものが丹生神社です。
また丹生川上神社と本宮さんどちらかだけのお参りは「片参り」になると言い伝えられています。
〝本社参らば本宮参れ どちら欠いても片参り〟

18.末社・木霊(こだま)神社(じんじゃ)

五十猛命(いたけるのみこと)をお祀りしています。
須佐之男命の御子神にして山林・林業の守護神として崇敬されており、氏子地域の人々からは「木霊(もっこん)さん」として親しまれています。
木霊さんは昭和57年小川郷木材林産協同組合市場開設30周年を記念し、畏くも和歌山市に鎮まります伊太祁曽神社より勧請されました。

一、お参りの作法

当社でのお参りの作法をご紹介させて頂きます。
初めて当社に参拝に来られた方、又は様々な神社を参拝してこられた方から、より具体的な参拝作法について様々な疑問やご意見を頂きます。
しかし、神社に対して皆様が思い描く参拝作法には「正しいきまり」はありません。各家庭の日常生活において違った風習があるように、神社においても地域などにより特色があります。
ひとりひとりの神様に対する想いが真剣であればあるほど、所作にも自然と表れてまいります。当社の参拝のご紹介で、皆様方のこころの表し方としてお役に立てれば幸いです。

手水の作法

 神様へお参りする前には手水舎の水で心身を洗い清めます

  1. 右手でひしゃくを持ち、水を汲んで左手を洗い清めます
  2. ひしゃくを左手に持ち替えて、右手を洗い清めます
  3. ひしゃくを右手に持ち、左の手のひらに水を受け、口をすすぎます
  4. 左手を洗います
  5. 次につかう人のためにひしゃくを立てて柄を洗います

自祓いの作法

 自祓いとは、いよいよご神前へ進む前に、自分で自分を清めるためのものです

  1. 祓串に軽く一礼します
  2. 体の中央から左・右・左と串を振り、自らをお祓いします
    ※このとき、お連れ様同士でお祓いされても構いません
  3. 祓串を元に戻し、再度一礼します

参拝の作法 (二礼 二拍手 一礼)

 ご神前へ進まれましたら、

  1. 軽く一礼します
  2. 鈴を鳴らします(お賽銭を奉納されたい方は、鳴らす前に納めます)
    ※鈴の音色には参拝者を祓い清め、神様とのご縁を結ぶという大事な役割があります
  3. 二拝(二度深く礼をします)
  4. 両手を胸の高さであわせ、日頃の感謝など心をこめてお祈りします
  5. 右手を少し手前に引き、二拍手します
  6. 一拝(一度深く礼をします)
  7. 最後に軽く一礼します

二.休憩処

欅のテーブルと腰掛でちょっとした休憩スペースを設けています。
お参りされたあとは、ほっと一息されてはいかがでしょうか。
※雨天時はご利用できません

三.ヤマユリ

ヤマユリはヨシノユリとも云い、吉野になじみの深い花です。
当神社では、7月中旬~8月初旬ごろにかけて、約1千本のヤマユリが見頃を迎えます。
女神様に見守られながら、ヤマユリはより一層綺麗に咲き誇ります。
この時期になりますと境内は甘い芳香に包まれ、いつしか「ヤマユリ香る社」とも呼ばれるようになりました。

四.ツクバネ

境内にはツクバネが自生しています。ツクバネはビャクダン科の半寄生性の落葉低木で、関東以西の本州・四国・九州北部に分布しています。本種は雄雌異株で、5月から6月に小さい花を咲かせますが、雄花は枝先に数個群がってつき、雌花は枝先に1個つきます。花弁は早く落ちますが、花を包んでいた4枚の苞(ほう)が3cmほどに伸びて葉状となって開きます。この実が羽子板の羽根に似るところからツクバネと呼ばれ、本種の名前になりました。若葉も実も食用としますが、衝羽根状の果実は塩漬けとして正月料理の添え物に使います。

五.特別天然記念物 ツルマンリョウ自生地

本殿裏、小牟漏にはツルマンリョウが自生しています。
ツルマンリョウは照葉樹林の林床に生育するヤブコウジ科の小低木です。茎はツル状をしていますが、他の木などに巻きついたり、幹や壁にくっついてよじ登っていくようなことはしません。茎はもたれかかることができれば、上方に伸びますが、なければ1m前後で倒れ、根を出して先端は再び上方に向かって伸びます。葉は常緑で茎には互生をして着き、花は葉柄のつけねに束を作って茎に着きます。毎年7月中旬頃に黄白色の花が咲き、翌年の秋に丸い赤い実がなります。
昭和32年5月8日、国の特別天然記念物に指定されました。

中井博士は1911年に台湾で発見した新植物にツルアカミノキと名付けましたが、京都大学の小泉博士が1923年に吉野町(当時は龍門村)河原屋の妹山で発見した本種に、新しい属を設立し、妹山の一角に祀られている名神大社である大名持神社の名に因んで、Anamtiaと命名して発表しました。
当時の台湾産のツルアカミノキと、妹山産のツルマンリョウが同一物であることが分かったのは後のことで、いち早く広く知れ渡ったツルマンリョウの名が一般的となり、今日に至っています。
その後、ヤブコウジ科植物を研究しているWalker博士によって、Myrsine属に移されましたが、この属は和名のツルマンリョウ属と変わりません。
現在、ツルマンリョウの分布は中国本土・台湾(大武山ほか)・沖縄県(国頭村)・鹿児島県(屋久町)・山口県(宇部市上山中及び山口市徳地)・広島県(三原市本郷および広島市)・奈良県(吉野町河原屋・山口・三茶屋・龍門寺跡、東吉野村小および鷲家、宇陀市榛原区自明及び内牧)が知られています。
ツルマンリョウは雌雄異株ですが、雌株も雄株もともに雄蕊、雌蕊があります。ただし、雌株の雌蕊は正常な大きさですが、雄蕊は葯の発達が悪く小さいです。これに反して雄株の雄蕊はよく発達していますが、雌蕊の先(柱頭)は尖頭形で発達が悪い状態です。雄花も雌花も7月中旬を中心にして開花しますが、咲き終わるとやがて萎んだまま茎につき、年が変わって5月ごろから子房が膨らみ始め、9月に赤熟します。開花してから二年目になって熟すわけです。12月に採取した本種の標本を調べて、一時は植物誌などにツルマンリョウの花期は12月と書かれていたこともありました。
ツルマンリョウは照葉樹林(シイやカシ類、ヤブツバキ、常緑のクスノキ科やモチノキ科の樹木などが茂る森林)の林床に生育しますが、スギやヒノキの植林に変えて、下刈りをせずに放置したところでは、ツルマンリョウは生き残ることができる場合があっても、極めて条件が限られるようです。それは強い日射のもとでのツルマンリョウは開花などが制限されるなど生育状況は決して良くありません。
また、上層木がスギの場合は、落葉は枝に付いた状態で落ちるので、まともにかぶってしまうと、ツルマンリョウが受けるダメージはきわめて大きいので注意する必要があります。ここ丹生川上神社のツルマンリョウの生育を保護するために、陽あたりの強いところでは、黒い寒冷沙紗を被せて、回復が早く進むように配慮しております。
奈良県のツルマンリョウ自生地は2箇所を除いて、国や県の天然記念物に指定され、保護されています。丹生川上神社の場合は、「丹生川上神社中社のツルマンリョウ自生地」として昭和32(1957)年5月8日に国の天然記念物の指定を受けています。
また、奈良県ではツルマンリョウを「希少種」(2008大切にしたい奈良県の野生植物、植物・昆虫類編)に指定し、大切に保護しています。尚、近畿地方レッドリストでは「絶滅危惧種B」に指定されています。
文:菅沼孝之(特定非営利活動法人 社叢学会 副理事長 理学博士)